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不登校の経験から得たもの

2025.10.22

滋賀県守山市のトータルヘルス&ビューティサロン:ココロ・カラダすこやかLAB.です。

前回のブログでは、代表である私の経歴についてお話しました。

本日はその中でも思春期に経験した不登校について深堀しようと思います。

このブログをご覧の方の中にはご自身が不登校で悩んでおられる方、身の回りに不登校の方がいらっしゃり、お悩みの方もいらっしゃるのではないのでしょうか?

そのお悩みは「何を考えているかわからない」「どうしてよいかわからない」という方が多くを占めるのではないのでしょうか?

 

それもそのはず。私自身が経験者です。まず、本人がそれをわかっていないのです。

私が不登校になったのは中学3年生の6月頃だったと思います。当時はまだ「登校拒否」と呼ばれている時代でした。当時、中学受験をし、いわゆる進学校に通っていました。小学生の時は、遊ぶことも我慢(あまり我慢したという意識もなく…)受験勉強中心の生活を送っていました。模擬テストでは上位とまではいきませんでしたが、通っている小学校や塾では学年トップクラスの成績だったと記憶しています。過大記憶補正でないことを願います(笑)。

自分なりに勉強はしていたつもりでしたが、狭き門であり、偏差値も足りていなかったことから、不合格覚悟での受験でした。しかし、どういうわけか合格したのです。もちろん自分も嬉しかったですが、両親やお世話になった塾の先生が喜んでくれている姿を見て、「自分が成し遂げたことで喜んでくれる人がいるのだ」ということを覚えました。

入学すると驚くばかりのエリート集団。学業優秀・容姿端麗・運動神経抜群といった3拍子揃った同級生ばかりで、小さな町でトップクラスだった私は中学校においては最下位クラスでした。また、それまで勉強ばかりしていた反動か、ゲームやマンガに時間を費やすことが増えていき、学力もどんどん低下していきました。

さらに当時は身長150㎝ほどの小柄な体格で毎日大きな荷物を抱え、満員電車に揺られて通学したものです。

当時は学校が嫌だとか、行きたくないだとか感じたことはありませんでした。毎朝、起床して制服に着替え、朝食を済ませます。ある日から荷物を持って玄関に向かうと急に腹痛に襲われ、靴を履けないか、履けても外に出られないようになっていきました。

親からは「行きたくないからサボっている、仮病だろう」と疑われ、みんな学校に行っているのに「ご近所さんに恥ずかしい」と言われていました。当時はそんな時代でしたから親が悪いわけではありません。ただ、「行きたいのに行けなくて困っているのに…わかってくれないよな」「どうしたらよいのだろう」と自問自答する日々が続きました。ぎりぎりの出席日数でなんとか卒業はできましたが、同校の附属高校には当然進学できず、別の私立高校を受験することになりました。その高校には無事に合格したものの、2日しか通うことなく夏休み前には退学することになりました。

そこから約2年間、ほぼ家に引きこもるだけの日々が始まりました。当時いちばんつらかったことは「母が泣いている姿を見ること」でした。「自分のせいで母を泣かせてしまっている」「自分がいなければ母はこんな悲しい思いをしなかったはず」そう思うようになりました。

ある時、「自分なんていなくなったほうが良い」と考えることがしばしばありました。当時はバブル時代に作られたと思われる山を切り開いた新興住宅地に住んでいました。その2階が私の部屋でした。窓の下は崖です。まさに崖っぷちでした。「ここから飛んだらみんな楽になる」そう思って窓に足をかけた時があります。するとその瞬間、小さいころからの楽しかった思い出が、まるで走馬灯のように頭の中を巡ってきたのです。

そこで初めて「いや待てよ、今はつらいかもしれないけれども、生きていればまた楽しいことがあるのではないか」と感じることが出来たのです。不思議な力が働き、命拾いをした私はそこから前向きに取り組むようになっていきました。

また学校に行きたい、大学にも行きたい、仕事もしたい。

それまでは拒否していたメンタルクリニックや心療内科の受診も受けてみようという気になりました。心療内科に通い始めてからは、毎週1回ほど心理カウンセリングに通いました。自宅から20分ほど電車に揺られて通っていました。そのため、はじめは「がんっばって」通っていました。しばらくすると「決まって行けるところがある」ことが嬉しくなり、カウンセリングに通うのが楽しみになっていきました。

そうしているうちに徐々に心身ともに元気が湧いてきて、中学受験時にお世話になっていた塾の個別指導教室に通うようになり、大阪の定時制(単位制)高校を受験し、入学することができました。そこで出会った人々は中学校で出会った同級生とは良くも悪くも全く違う多様性に長けた仲間でした。高校を卒業してから約20年が経ちますが、今でも付き合いがある一生の友人になりました。入学者の約半数しか3年で卒業しないという(笑)特殊な高校でしたが、私は3年で卒業し、私立大学で電気電子工学を専攻し、卒業後は大手の総合モータメーカにエンジニアとして就職することになりました。今度は入社から休職までの経緯について述べたいと思います。

同じようなお悩みをお持ちの方、またはご家族の方がいらっしゃればもしかしたらお力になれるかもしれません。「この人と話をしてみたい!」そう感じてくださった方は以下のリンクから公式LINEにお友だち登録していただき、メッセージにてご連絡をください。そんな些細なことでも構いません。ひとりで抱え込まないで、あなたのお悩みを聞かせてください。

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